ここで生きると決めた理由
去年の年末に、「わたしはここで、日本で生きていこう」と決めました。その決断に至るまでの、ちいさなお話です。
去年のこと、METやトリエステ、フランクフルトなどなど、海外の歌劇場で働く音楽スタッフの方々に声を聴いていただく機会がありました。そこで、方向性として迷い続けていたソプラノ・ドラマティコの各役のアリアを演奏したところ、自分の予想をはるかに上回る高い評価をいただきました。びっくりしました。いろいろなことに対して、背中を押してもらえました。
それを様々な方に相談すると、一日も早く海外に飛んだ方がいいと言われました。その声を受けて、韓国で開催されたアメリカのエージェントのオーディションを受けにも行きました。それを皮切りに、これからもっと、いろいろな海外のオーディションを受けて、舞台に立つようになれたらいいな……と思いました。ただ、それと同時に、本当にそれはわたしの望むことだろうか?という気持ちも、胸の中で瞬きました。でも、一瞬よぎったそのサインからは目を逸らして、見なかったふりをしました。
わたしは、ごく平凡な人間です。大事に思うひとと、笑い合い、励まし合いながら、いっしょにごはんを食べながら、毎日を暮らしていけたら幸せです。そして、その穏やかな日々こそがわたしの音楽のみなもとだと断言できます。そんな日々を、人生をかけて、かろやかに、育んでいきたいのです。
あと、この決断に至る前段階として、わたしはずっと、留学したくても出来ないままに歳を重ねてきた、ということをお話しておきます。いま思えば、楽器もまったく出来上がっておらず、自分の方向性も定まっておらず、どこでなにをすればいいのかわからなかった……というのが、正直なところかもしれません。当時は無為に時を重ねていくように見えた自分に、焦りと苛立ちをずっと感じ続けていました。
けれど、声が変わったと言われるようになってきた昨年の春以降の変化をいま思い返してみると、去年の春からは外に求めていくよりも、自分自身にとことん向き合って、ケアして、セルフコーチングしながら進めていくことと、台所からの学びと、パートナーとの穏やかな日々が人生の主軸になっている……と思い至りました。
おそらく、これまでの師匠方からの教えのエッセンスと、自分自身の経験を混ぜ合わせて、純化させて、自分の楽器に合わせた形で運用していくことが可能になったのだろうと結論付けています。ようやく、自分自身の基礎をつくることが出来たのだなあ……と感謝しています。台所からの学びが、音楽とどういう風に結びついているかについては、また改めて記事を書きます。
そして、パートナーとの日々の対話の中での気付きや、なにげない時間が、わたしの音楽も大きく育ててくれています。業種は違うけれど、それぞれに仕事を通じてその奥に見ているものが非常に近くて、これまでどこかでずっと孤独を感じていた自分にとっては、深い深い海でようやく巡り会えた同種の生き物のようでした。だからここが、彼が生きるこの場所が、わたしの生きる場所なのだと、自然に思えました。世界のどんな街でもなくて、彼と共に生きるこの場所が、わたしの居場所なのだなあ。そう思えることが、ほのぼのとしあわせです。
いま、歌い手としては「ドラマティコ・ダジリタとしての自分を育てる」という新たな目標が湧き上がってきています。これも、今までの日々の延長線上に湧き上がってきた目標です。むかしの自分が漠然と憧れたドラマティコ・ダジリタ。どんな特徴かというと、ドラマティックな表現に適した強い声を持ちつつ、軽やかに声をコロコロと動かしていく技術も併せ持っています。おそらく無理なことではなく、私が自分の中に育っている技術を信じて、委ねていけば、音楽は走り始めると感じています。だからもっともっと、自分の奥底に潜って、開いて、還元していきたいです。
ここで、この場所で。大事なひとと共に生きる、この場所で。
0コメント