21世紀の音楽実験室


いま、ひとつの新しい時代が始まろうとする瞬間に立ち会っているのかもしれない───。三善晃作曲の、男声合唱とピアノのための「三つの時刻」の第1曲「薔薇よ」が奏でられ始めた時に、全身に鳥肌が立つのを感じました。とんでもないことが、これから始まろうとしている。心がぶるる、と震えました。


イタリア語で「研究室」「実験室」の名がついた、Laboratorio 141-4431 再【ka:i】。中心となっておられるのは、筆者も以前にモーツァルトの《レクイエム》でソリストとして、ご縁をもたせていただいたバリトン歌手・石井一也氏。石井氏が先導して取り組まれたこの「音楽実験」は、21世紀の日本の音楽界にとってエポックメイキングな出来事となるだろうと感じました。


編成は各パート4人ずつの男性四部。けれど、舞台に上がられた皆様のお顔を見ると、通常の並び方とは異なる並び方をしておいでです。中央に外声部、外側に内声部という配置。その並びから生まれるハーモニーを聴いて、なるほど…!と唸りました。声部の高低による分断が薄まり、響きが非常に有機的かつ重層的なものになっているのです。


この配置はもしかすると、緊急事態宣言の影響で、本来の日程から一年近く延長になったことで、更に練り込みを重ねる中で生まれたものかもしれません。今年の、本来予定されていた日程におこなわれた試演会の映像を見ると、そこではまだ通常の配置で、皆様並ばれています。


同じ「薔薇よ」の、試演会の時の映像です。もちろん、この映像での演奏も素晴らしいものなのですが、当日の演奏はこれとは桁違いでした。単なる音楽ではなく、自然現象の中に身を置いているような心持ちでした。



以前、似たような心持ちになったことがあったのを思い出しました。2017年にサントリーホールで公演された読売交響楽団の《アッシジの聖フランチェスコ》を聴いた時のことです。メシアンの音楽が、サントリーホールの壁や椅子に使われている木材に再び生命を与え、世界樹が育っていくような感覚をおぼえました。世界樹の中に身を置き、宇宙からの音が降ってくるような、天の響きに包まれるような、不思議な感覚でした。この時の経験は、1999年の東京二期会《タンホイザー》、2017年のバイロイト「ニーベルングの指環」に並んで、自分の人生の中では別次元の音楽鑑賞体験となりました。ワーグナー体験を除けば、自身の中で至高の音楽体験です。


その時以来、単なる響きの空間ではなく、音楽を通じてホールのすべてが自然や世界の理と一体化する時間を追体験できないかと、心のどこかでずっと追い求めていました。


その願いが聞き届けられた。そう感じられました。



16人の選び抜かれた歌手が奏でる「歌」、そしてそれを導く石井一也氏の繊細かつ柔軟な音楽性に溢れた指揮。非常に純度が高い想念と、しなやかな生命力に満ちた時間でした。なにより、みんなが高校の部活のようにいきいきとした喜びに満ちていて、それが聴衆の心にも灯火をともしてくれたように思います。


音楽も言葉も、人間も楽器もホールも、想いも、すべて自然から生まれて、自然へと帰っていくんだ。大きなサイクルの中で、ほんのすこし時間を借りているだけにすぎないんだ。皆様の奏でられる「歌」の中に身を置いていると、そんなことが自然と感じられました。



この日は、尾形敏幸先生作曲の「風によせて その1」男声合唱版の初演もおこなわれました。立原道造のみずみずしい叙情に満ちた詩を乗せていく音楽。中高時代、部活で女声合唱に取り組んでいた時に歌った思い出の曲だったこともあり、個人的には非常に嬉しい時間となりました。


試演会の時の映像です。「風によせて その1」が、男声合唱の新たな定番の一曲になることを心から願います。



三部構成となったプログラムの最後は、長崎県出身の作曲家・大島ミチル氏作曲の、男声合唱組曲「御誦(おらしょ)」。パーカッションお二人とアルトソロも加わり、敬虔な祈りと土着的なエネルギーが融合した時間となりました。圧倒的な声の響きに包まれ、なにも考えられない時間が長く続きました。



開演前のアナウンス、各パートごとのアンコール、休憩中、そして照明と、細かなところまで粋をつくしたしつらえとなっていたことも書き添えます。今回の主催でらっしゃるテノール歌手・芹澤佳通氏はじめ皆様の精緻な心配りを、非常に細かなところまで感じられました。ありがとうございました。そして、ご出演の音楽家の皆様すべてが、この時間を愛おしんでいるということが深く伝わってきました。



プログラムに掲載された石井氏の寄稿には、今回の演奏会に寄せる想いがこう記されてありました。


「今回のプログラムは真摯に音楽に向き合わなければとうてい到達できないような高みにあり、かつ、演奏者の生きざまが如実に表れてしまうような、ごまかしの全く効かない難曲ばかりです。

 そういう意味で、度重なる中止、延期に見舞われてしまったのは、私たちがまだこれらの曲を演奏する準備ができていなかったからなのかもしれません。

 長い時間がかかってしまいましたが、今宵の演奏会が予定どおり執り行われたなら、やっと私たちはそのスタート地点に立てたのだと思います。」


そして、彼らは演奏会を終えました。その演奏会は、あるひとりの聴衆にとって、人生に大きく刻まれる、圧倒的な時間となりました。心からの感謝を捧げます。



この21世紀の「音楽実験室」が回を重ねていくことで、日本の音楽界は大きく変わっていくかもしれない───。確信にも近い予感を抱いています。次回公演の際には、取材をさせていただけたらいいなあ……とも願います。



石井氏はじめ、皆様のますますのご活躍ならびにご健康を、心よりお祈りしております。


次回公演を楽しみにしております!!





Laboratorio141-4431 再【ka:i】

2021年6月4日(金)19時開演

スクエア荏原ひらつかホール


〈出演者〉

芹澤佳通、相山潤平、高梨英次郎、岩田健志、

岸野裕貴、長尾隆央、雨宮正樹、西久保孝弘、

森田有生、野村真土、寺西一真、岸本大、

的場正剛、鷲尾裕樹、片山将司、伊藤颯人


竹島杏奈


藤井麻理、田邊紗世


佐藤大希、大西悠斗


石井一也



〈プログラム〉


男声合唱とピアノのための 「三つの時刻」

三善晃 作曲

丸山薫 作詞


・薔薇よ

・午後

・松よ



男声合唱とピアノ(四手)のための 「遊星ひとつ」

三善晃 作曲

木島始 作詞


・INITIAL CALL

・だれの?

・見えない縁のうた

・バトンタッチのうた



「風によせて その1」 男声合唱版 初演

尾形敏幸 作曲

立原道造 作詞



男声合唱組曲 「御誦」

大島ミチル 作曲


・ガラサ道

・アヴェ・マリア

・蓑踊(みのよう)

・獅子の泣き歌

・御誦(おらしょ)




藤野沙優 Official Web Site

まあるく、生きる。 まあるく、暮らす。