聖土曜日のマタイ受難曲
学生時代からたいへんお世話になっている、大好きな先輩である、メゾソプラノ・高橋ちはるさんからご招待をいただいて、バッハ・コレギウム・ジャパンのマタイ受難曲を、四旬節の終わりの聖土曜日に聴きました。
実は、マタイ受難曲をホールで聴くのは初めての経験。受難の週の最後に、特別な時間を共有させていただくという、ちはるさんからの贈り物に感謝しながらサントリーホールに向かいました。
マタイ受難曲は、新約聖書「マタイによる福音書」の第26・27節に書かれたキリストの受難を描いた作品。若い頃は、キリスト教者ではない自分がこの作品に向き合ってもいいのかしら…という思いが拭い去れず、遠目で眺めるばかりでした。けれど同時に、その精神の一端に触れたいという思いもあり、遠い憧憬をずっと抱えていました。
開演が近づき、バッハ・コレギウム・ジャパンの皆様が着席され始めました。客席が拍手で迎えます。そのとき、2020年度の一年間が蘇り、聖週間にマタイをようやく奏でられる皆様のお心を想い、涙がこぼれそうになりました。客席も、このときを待っていたという静かな喜びに満ちており、非常に温かい瞬間でした。
やがて、マタイの時間が始まりました。なんと精緻なのでしょうか。稲穂が風になびくように、言葉とバッハの音楽が静かに心を流れていきます。キリストの最後の日々が、静かに語られていきます。いま、自分は果てしない時の連環の継ぎ目にいるのだと感じました。
キリストの受難をありありと心の中に描くことがかなったのは、小学生の頃に観劇したアンドリュー・ロイド=ウェバー作曲のミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』の影響も大きいのかもしれません。思えば、この作品もキリスト最後の7日間が描かれた作品でした。全編、合唱とロックミュージックで進行するこのミュージカルの最後は、静かな管弦楽で締めくくられます。その曲の題名は"John Nineteen: Forty-One "。そう、「ヨハネによる福音書19章41節」です。
ロイド=ウェバーは他にも、学生時代に聖書に題を取ったミュージカルを作曲していたり、レクイエムの作曲も手掛けています。小学生の頃は、ピアノの先生のお宅で読んだ聖書のイメージでしか作品を見ることができなかったけれど、マタイ受難曲を通じて、あの作品はロイド=ウェバーの敬虔な信仰告白であったのだな……ということにも気付きました。改めて、『ジーザス・クライスト・スーパースター』に触れ直してみようとも心を決めました。
それにしても、バッハ・コレギウム・ジャパンの皆様が奏でられるマタイ受難曲は、なんと精緻で細やかで温かく、深い慈しみに満ちているのでしょうか。あの時間を言い表す術を、私は持ちません。時間が経てば言葉が熟成するかと思って待っていましたが、ただただ圧倒されるばかりで、言葉はますます見つかりません。帰ってからもマタイを聴こうかとも思いましたが、ホールでのあの時間が忘れられず、音源を流すことがかないませんでした。いまも思い返すだけで、頭の芯が静かになります。
代わりに『ジーザス・クライスト・スーパースター』をYouTubeで見て、キリストの生涯や苦難に想いを馳せていると、仕事でマタイには同行出来なかった家人が、隣で熱心に聴き入っています。画面を見せると、食い入るように見入ります。しばらくすると鼻歌を歌い始め、音源をダウンロードし始めました。よく聞いてみると、私が小学生の頃に大好きだったナンバーを口ずさんでいます。作品についても調べ始めて、聖書にも興味が湧いてきたようです。彼にとって初めての受難劇体験です。自分の辿った道筋を思い返して、笑みがこぼれました。
来年の聖土曜日には、家人と共にマタイ受難曲の時間を持ちたいです。そして、その時間を積み重ねていきたいです。積み重ねていくうちに、あの深遠な時間を言い表す術を見出すことがかなうかもしれません。その日が来ることを願います。
ちはるさん、バッハ・コレギウム・ジャパンの皆様、本当にありがとうございました。
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