Soprano drammatico d'agilità


 High Fが出た喜びは、それはそれとしてあるのですが、このところ練習していて「あれ?」と感じることがありました。

 というのは、楽器としての自分がいま奏でることを求めている音楽は、ドニゼッティやベッリーニ、モーツァルトかもしれない…という、漠然とした肌感覚があるのです。

 頭で立てた計画では、今年はドイツオペラのレパートリーに特化して深めていこうと決めていたのですが、楽器には楽器の意思があるようです。

 夜の女王の楽譜を読んでいると、楽器が奏でたがっているのが理解出来るのです。それを奏でるなら、これもいいよ…という音楽も浮かんできます。不思議な感覚です。

 演奏者の声と楽器の声が異なるとき、その狭間で揺れる自分もあります。演奏者としては、エレクトラを今年のうちにfixさせて、いつどこでも歌えるようにしたいと願っていました。その他の役も勉強しようと、計画を立てていました。

 けれど、楽器の声に耳を傾けてみると、夜の女王をやってごらんよ、これもドラマティコ・ダジリタの役なんだからさ、と告げています。

 ソプラノ・ドラマティコ・ダジリタ。ドラマティコの声を持ちながら、音の粒を滑らかに転がるアジリタの技術を持つソプラノです。

 自身の楽器のドラマティコ・ダジリタという可能性は感じながらも、ずっと遠い憧れと感じていたため、非常におそれおおい感覚があって、演奏者の自分が認めるのをずっと怖れてきました。

 でも、演奏者としての自分が、自分の楽器を認めて、まるごと受けとめてみようと思います。楽器に任せてみようと決めました。


 今年のレパートリー計画は、緩やかに修正していくことになりそうです。夜の女王とエレクトラを並行して勉強することは、不可能です。エレクトラは、しばらく封印です。でも、急いでやらなくてもいい役ですね。


 今は、楽器の声に従ってみます。奏でたい音楽に任せてみます。そうしたらきっと、楽器がどこかに連れて行ってくれるかもしれません。


 未知の世界への旅立ちです。それなのに、懐かしくて安心するようでもあり、なんとも不思議な心持ちです。


 そういえば、ソプラノ・ドラマティコ・ダジリタの役を調べ直してみたら、ノルマも、ルチアも、セミラーミデも含まれていました。そういえば、そうでした。メデアや、ヴェスタの巫女も、また同じです。


 やっぱり、古くて懐かしい場所へ帰っていく旅のようです。





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まあるく、生きる。 まあるく、暮らす。