A Carissima Marcella
あなたが旅立たれたという報せを聞いても、まだ心のどこかが受け入れていません。目を閉じれば、輪郭をきっちりひいたあなたの赤い唇、優雅に揺れる赤い髪、ふわりと漂う甘い香りが思い浮かびます。
あなたが造った世界に触れたのは、私が人生に悩む時でした。将来に悩み、自分の能力に悩み、八方塞がりになっていた時に、先輩方が出演される舞台を見に、久しぶりの6ホールに行きました。冬の寒い日のことでした。
そこで繰り広げられた世界を、私は忘れません。青い光の中、狂ったように手紙を書くタチアーナ。激情がもつれた末に、カルメンを刺し殺すホセ。あなたの心を映し取ったその世界は、恐ろしいほどに研ぎ澄まされていました。
私も、この世界に加わりたい。この美しい世界を構成する一員となりたい。ただただ、そう願いました。大学院には落ちていましたが、2月に別科の試験を受けて、合格した時には、嬉しくて泣きました。そして、授業の末席に加わることが叶いました。
それからの数年間は、私の舞台人としての心構えを育ててくれました。「演じる」を越して、「在る」こと。けれど、「在る」だけでなくて、「魅せる」こと。舞台でライトを浴びるには、とことん自分に向き合い、掘り下げ、自己を明確に認識すると同時に、自我を捨てることが必要なのだと学びました。
あの時の私はさっぱり理解していませんでしたが、グローバルな環境で仕事をする心構えや、必要なレパートリー構築を、必死に教えてくださったのもあなたでした。指示してくださったレパートリーも皆、ひとりひとりの個性を活かし、仕事につながるようなレパートリーでした。長期的な視野をもって、ひとりひとりの学生に愛情深く、ご自身の培ってらした知見に基づくアドバイスを、激しく、厳しく伝えてくださいました。
New National Theaterに来い、という言葉の意味がわからず、数年をすごしてしまったことを残念に思います。今になって、あなたのおっしゃってくださったことが、ようやく少しだけわかるようになれたのかもしれません。もしあの時、あなたのアドバイスに従っていたら、私はどんな歌手人生を送っていたでしょうか。
けれど、人生にタラレバは禁物です。Marcella、私は40を過ぎてようやく、天からお預かりした自分の楽器を使って、自分の魂が悦ぶ言葉と音楽を奏でられる僥倖に恵まれました。かけがえのない人生のパートナーともめぐり会いました。ずいぶんと、回り道をしてしまいました。でも、この人生を、私はなかなかに気に入っています。いいものです。いつかこの楽器を天に返す時まで、しっかりと最後まで育てていきます。
そういえば、あなたはよく、床に転がる役を私に当てていましたっけ。"Floor Girl! "なんて呼ばれることもありましたね。《メフィストーフェレ》の牢獄のマルゲリータ、《マノン・レスコー》の砂漠のマノン、《蝶々夫人》の最期の場面……。あの頃の私は、ガムラン部屋の床がお友達でした。それが昂じて、今では《エレクトラ》を勉強しています。エレクトラ、最強のFloor Girl ですね。まさか、そこに行き着くとは、自分でも思っていませんでした。これからも、Floor Girl としての役目を粛々と果たしていきます。
あなたの造る世界は、いつも光が美しかった。あれは、あなたの心の光だったのですね。あなたの心から生まれた光と影の中、かけがえのない仲間たちと、あの世界に在ることが出来たことを誇りに思います。
おしゃべりが長くなっていけません。このへんで。白い百合のお写真を選ぼうかと思いましたが、あなたのように華やかなダリアと共に、見送ります。またいずれ。そして、次の舞台の光の中で。
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