Märchen への回帰
今年に入って、ドイツ語の勉強を兼ねて「白雪姫」や「ヘンゼルとグレーテル」の音読を始めました。最初はつっかえつっかえだったものの、日を重ねるごとに、言葉が口を通過していくのが楽しくなっています。
先日は、勤務校の授業で「白雪姫」の冒頭部分を、英・独・伊の3ヶ国語で聴き較べてもらおうと、それぞれの朗読を練習して臨みました。その時、愕然としたのですが、大学時代から時間をかけて勉強してきたイタリア語に較べて、ドイツ語の方が遥かに、自然な情感を伴って読み進めることが出来たのです。
やっぱりドイツ語の方が合っているのかなと、その時は深く掘り下げずに終わりました。けれど今日になって、「ヘンゼルとグレーテル」のお話の終わりの部分を読んでいる時に、ものすごく昔の情景が鮮やかに蘇ってきたのです。
それは小学生の頃。私は地下鉄に乗って茅場町の小学校に通っていたのですが、通学時の楽しみは本を読むことでした。その中でも大好きだったのが、全5巻からなる「グリム童話」でした。5巻目には「補遺」も入っていました。当時の私は「補遺」の意味もわからなかったけれど、すごく大人の領域に足を踏み入れたような気がして、わくわくしながら、繰り返し全5巻の「グリム童話」を読み続けていました。今でも、本のビニールカバーの手触りをあざやかに思い出します。
私が惹きつけられたのは、「グリム童話」の甘くない、仄暗い世界観。不条理を内包する暗い森の中をさまよった末に、たどり着いた小屋で甘いミルク粥を食べ、寝床に入って眠る……という「グリム童話」の中で描かれる日常にも、たまらなく惹かれました。また、言祝ぐべき出来事と、驚くような血なまぐさい残虐性が同時に、淡々とした筆致で表されているところにも、この世の光と影のバランスを、人間の浅はかな判断を超えたところから眺めているような気がして、「グリム童話」として収集されたドイツの民話に、不思議な魅力を感じました。それが昂じて、一時期は民俗学者になりたいとも思っていました。
小学生の頃にもうひとつ、大好きだったのが、ミヒャエル・エンデの『モモ』。生きること、時間、本当の豊かさについて書かれた不思議な現代の寓話は、少女時代の私の心を捉えました。「グリム童話」、そして『モモ』が入り口となって、この世の不条理、生きること、時間、人の心の深さなどが、知らず知らずのうちに、自分自身にとって大きなテーマとなっていったのかもしれません。
その延長線上で、中学生になると、心理学や哲学にも興味を抱くようになりました。特に傾倒していたのが、ユング派の学説。精神分析などの本を読みふけり、独学を深めていきました。また、ニーチェの思想にもいつのまにか惹かれていました。
中学2年生の頃には、ドイツに2週間〜3週間ほどの滞在もしました。数年前のバイロイト滞在が、一番長い海外滞在期間だと思っていましたが、そうではなく、中学時代のドイツ滞在が自分の礎になっていたのかもしれません。その時は、フランクフルト〜ハイデルベルク〜ローテンブルク〜ミュンヘン〜ランツフートという旅路を、母と二人でめぐりました。ランツフートではペンパルのフェレーナという女の子の家にホームステイして、ご家族の皆様とご一緒に、たいへん豊かな時間を過ごしたことを思い出しました。ドイツから帰国後は、一時期ドイツ語も勉強していたことも、思い出しました。
それが、気がつけば、大学進学後はイタリア音楽を主に学ぶようになっていました。20数年、イタリア音楽を基盤として、自分自身を育ててきました。
けれど、結果として振り返ってみると、自分が長年研究してきたのは、イタリアでワーグナー作品の紹介者となり、言葉・台本の面からイタリア・オペラを変革していったボーイトでした。そして、ボーイトに傾倒していくきっかけとなった、最初の研究題材は、文豪ゲーテのライフワークであった『ファウスト』を基にしたオペラ《メフィストーフェレ》でした。イタリア・オペラの中でも、ドイツ的な要素が非常に色濃い作品を選んでいたところに、今となっては納得せざるを得ません。
その後、イタリアでワーグナーの紹介者となったボーイトを入り口として、ワーグナーやシュトラウスへの学びを深めていったと思っていましたが……。そうではなく、子供の頃に夢中になって耕していた畑に、時間をかけてようやく戻ってきただけなのかもしれません。
ワーグナーやシュトラウスの作品の中でも、本来の意味での Märchen の要素が強い作品に心惹かれるのは、こうした精神的土壌があったからなのだなあ……と、気がついた時には深いため息を吐きました。なるほどなあ。
ひとまず、現時点での忘備録として。ここからまた、新しく畑を育てていこうと思います。文学者・研究者としてのグリム兄弟についても、今の自分で学んでいこうと思います。世界が広がっていきそうで、とても楽しみです。
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