レパートリーをつくる

声の変化にともなって、昨年からソプラノ・ドラマティコに転向したので、

いまは新しくレパートリーを構築している。


幸い、今年の前半は本番がないので、

貴重な勉強の時間だと思って、これ幸いと楽譜との時間を楽しんでいる。


レパートリーをつくっていくのは孤独な作業だけど、

プロジェクト化してみたら、なんだか楽しくなってきた。


現在進行中なのは、次の3つのプロジェクト。


(1)ワーグナープロジェクト

《さまよえるオランダ人》から、時系列に全作品を概観しつつ、

ワーグナーの諸作品の歌唱スタイルを探り、各役を定着させていくプロジェクト。


(2)エレクトラプロジェクト

リヒャルト・シュトラウスの作品の中でも《エレクトラ》に特化して、

題役を育てていくプロジェクト。

日本語訳なのが恥ずかしいけれど、ギリシャ悲劇各作品の台本の分析も。


(3)トゥーランドットプロジェクト

プッチーニの《トゥーランドット》題役を育てていくため、

イタリアオペラの歴史における強い女性(セミラーミデやアビガイッレなど)を、

アリアなどでポイント的に勉強しつつ、上記2つのプロジェクトと併せて、

ワーグナー受容以降のイタリアオペラにおける強い女性像を探っていく。

並行して、補筆のアルファーノや、彼より若い世代のザンドナーイなど、

「プッチーニ以降」のイタリアオペラの諸作品も概観していく。


……とまあ、ここまで書いていて気がついたのだけど、

要は博士課程まで研究・実践してきたことの続きをやっているにすぎない。


修士課程では、「プッチーニ以降」のイタリアオペラの礎を築いた、

ボーイトの《メフィストーフェレ》の研究をおこなった。


その後、博士課程に進学するまで、

ボーイトや周辺領域についての自主的な研究をおこなってきた。


博士課程では、台本作家としても活躍したボーイトが、

ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》などを翻訳・紹介した事実に着目して、

彼が翻訳した「ヴェーゼンドンク歌曲集」をオリジナル版との比較分析の上、

最終的に修了審査でオリジナル版・ボーイト版両作の比較演奏をおこなった。


ちなみに、修了審査は90分のプログラムを組まなければならなかったので、

「ヴェーゼンドンク歌曲集」両版のほかに、

・ヴェルディ作曲《オテッロ》から「柳の歌」〜「アヴェ・マリア」

・ワーグナー作曲《ローエングリン》から「エルザの夢」

・ワーグナー作曲《トリスタンとイゾルデ》から「イゾルデの愛の死」

・ワーグナー作曲《神々の黄昏》から「ブリュンヒルデの自己犠牲」

というプログラムを歌った。(今更ながらこのプログラムはごつい……ごつすぎる。)


研究の途中では、イタリア語版の「愛の死」など、

「イタリア語で歌うワーグナー」を実践していったのだけど、

これが面白い経験で、トゥーランドットへのアプローチにすごく役立っている。


ドイツ語では子音での発音表現に頼れていた箇所が、

母音の割合が多いイタリア語だと、練り羊羹のようなイメージになり、

ドイツ語歌唱よりも体力を2割ほど使う。


こりゃたいへんだ……と思って、

イタリア語歌唱でワーグナーにアプローチする最適解を探ると、

1800年代前半の歌唱様式を身につけるのが一番だという結論に達した。


それからはルチアやノルマを歌いながら、調整してきた。

最近ではそれに、セミラーミデやアビガイッレも加わった。


セミラーミデのアリアは、

まさかこの人生で歌えるようになるとは思っていなかったけれど、

取り組んでいくと、とにかく楽しい。


セミラーミデやアビガイッレへのアプローチを続けたおかげで、

先日はご縁あって頂いたお話で、

《ラ・トラヴィアータ》のヴィオレッタを歌うこともかなった。


ヴィオレッタも、まさか歌えるようになるとは……と思っていただけに、

思い返すと、しみじみとなんだか嬉しい。


今年はこの他にも、イタリアオペラへのアプローチが続くので、

いいバランスを取りながらやっていければいいと願う。


このまま育って、ドラマティコ・ダジリタになれたらいいな……とも願う。


Denbyの器みたいな歌をうたっていけたらいいな……という記事も書いたけれど、

こうして書いているうちに、なんとなく方向性が見えてきたような気がする。


レパートリーをつくる過程はもしかしたら、

土を育てて、捏ねて、器をつくっていく過程とも似ているのかもしれない。


今年一年を経て、わたしの器はどのように育つのだろう。

いまから、とても楽しみだ。



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