過去への句読点。

先日、ひとりワークショップにじっくり取り組む時間がありました。休日のカフェで、パートナーの彼とふたりでそれぞれの時間を過ごしているとき。彼はじっくりと生物学のご本を読んでいました。

セルフコーチングノートを使って、いろんなイシューを深掘りしていくのはいつものことなのだけど、その日はいまの自分にブレーキをかけている大きな要因に行き着いたものだから、どっしりと時間をかけて取り組んでいきました。

ひとつ気がついたことは、いまの自分の認識が、過去のある時点での自己認識のままになっていたということ。わたしの場合は、それが12年前で止まっていました。なんとまあ…と驚いたけれど、ようやくそれを認識できるまで、自身の傷が癒えたのかもしれません。

古い自己認識の解体作業は、まず「見つめること」「明らかにすること」から始まります。過去の時点での状況の把握、そして現時点の状況との差異への気付きなど、客観的な事実をただ書いていきます。

12年前の自分から見たら、2019年の「いま」はすごい未来でした。先になにも希望を見出せなくて、あらゆるものに縛られて、人生はただ苦行の連続であると信じ込んでいた過去の自分にとっては、いまの自分の状況はにわかには呑み込み難いものでした。

そして、不思議なものだけど、人は慣れ親しんだ状況に深い愛着を覚えるものだと理解しました。それがどんなにつらい状況であったとしても、慣れ親しんだ状況を手放す時には痛みを感じるものなのだと再認識しました。

なにもなかった12年前と比べると、12年後の未来の「いま」は、大きく変わっていました。それは、この年月の間の自分の選択と決断と行動の積み重ねであると認識出来て、目には見えないけれど自信に繋がりました。

そして過去を過去として受け入れてみると、その期間の〈時間〉や〈感情〉が純化されたエネルギーとなって、未来への推進力となるような気がしました。過去への句読点をつけたことによって、わたしはようやく、わたしの生きたかったわたしを生きられるようになり始めたのかもしれません。

そんな結論に達して、ノートを閉じて、顔を上げると、彼はまだご本を読んでいました。

こういう時間、いいなあ。ほっこりして、おかわりしたコーヒーを飲みました。濃くて、しっかりとした味わいのコーヒーは、そんな時間の旅をまるごと受けとめてくれるようでした。2019年の人生がようやく、始まった気がしました。



藤野沙優 Official Web Site

まあるく、生きる。 まあるく、暮らす。