ボーイト先生のこと


 若い頃はいつの頃からか、ボーイト先生のことが思考や生活の中心になっていました。今日は、そんなボーイト先生のことについて記します。



ボーイト先生とは──作曲家・文筆家アッリーゴ・ボーイト



 ボーイト先生というのは、1842年生まれの作曲家・文筆家。


 若い頃はワーグナーに多大な影響を受け、ゲーテ『ファウスト』を原作としたオペラ《メフィストーフェレ》を執筆しました。そして、《トリスタンとイゾルデ》をはじめとしたワーグナー作品のイタリア語訳詞を手掛け、イタリア国内に紹介するきっかけを作りました。


 その後、巨匠ヴェルディと共に《オテッロ》《ファルスタッフ》という2作の傑作オペラを制作し、ザンドナーイら後進の作曲家を出版社のリコルディ社の皆さんと共に育てるきっかけを作りました。そんなすごい方がボーイト先生こと、アッリーゴ・ボーイトです。


 この方の研究を、20年近く続けてきました。ものすごい才能の混沌であり、嵐の中心みたいな人なのに、日本ではあまり着目されていないボーイト先生。けれど、ボーイト先生なしでは、1870年以降のイタリアオペラ界は語れません。ボーイト先生がいなければ、プッチーニもイッリカと出会わなかったでしょうし、数々の名作も生まれなかったことでしょう。というのは、イッリカが詩人となる経緯には、ボーイト先生の存在が大きく関わっているからです。


 近年は指揮者のバッティストーニが《メフィストーフェレ》の上演を手掛けたり、ボーイト先生の再評価が高まる機運も感じます。そういえば、バッティストーニはザンドナーイの《フランチェスカ・ダ・リミニ》も手がけようとしていましたね。個人的に《フランチェスカ》は、ボーイト研究に導く道標となった作品。いつか会えたら、バッティストーニとはきっといいお友達になれるような気がします。



ボーイト先生が好きすぎて


 ボーイト先生には、どうしてか深い共感を昔から感じていました。どうにもならない闇や絶望を抱えながらも、理性の力でそれをコントロールする心の在り方や、自分の能力や技術を冷静に見極めるがゆえに孤独を深める一方、周囲の方々を常に優しく慮りながら行動する気高さを、深く尊敬していました。


 意識していませんでしたが、「音楽」と「言葉」を共に大事に育てていくという生き方のロールモデルになっていたのかもしれません。そのボーイト先生の若き日に影響を与えたのは、やはり「音楽」と「言葉」を自身の芸術の根幹としたワーグナーだったわけで。いま、ワーグナーを歌うようになったのも、確かに当然の帰結だと感じます。


 ボーイト先生が好きすぎて、その思考の過程をなぞりたい、辿りたいと思って、『ファウスト』と《メフィストーフェレ》台本、『オセロー』と《オテッロ》台本の比較分析などを、自主的に粘っこく、年単位でずーっと続けたりしていました。


 その後は、ボーイト先生が翻訳した《トリスタンとイゾルデ》の「愛の死」や「ヴェーゼンドンク歌曲集」のテクストをねちっこく分析したり、ドイツ語版とイタリア語版を実際に歌ってみて、どのような違いがあるかなどを分析したりしていました。


 ちなみに、ワーグナーをイタリア語で歌うと、ドイツ語で歌う時よりも体力をかなり使います。子音と母音の関係も大きいですが、イタリア語で歌う時は「切れ目のない、とらやの練り羊羹」という感じです。ずーっと一定に保持しないといけないし、滑らかに言葉を移行させないとフレーズに傷がついてしまいます。


 この時の経験が、トゥーランドットや、マスカーニ作曲《カヴァレリア・ルスティカーナ》のヒロイン、サントゥッツァへのアプローチにも、たいへん役に立ちました。また、トゥーランドットよりも二段階ほど密度が濃い感情表現が求められるザンドナーイの作品なども、この経験を通じて培った技術が大いに求められることが分かりました。


 けれどそれらの作品を十全に表現していくためには、前述の技術と同じくらい、イタリアで受け継がれてきた伝統的な声楽技法も必要だという結論に達しました。そこで、ボーイトやヴェルディよりも前の世代にあたる、ベッリーニ、ドニゼッティ、ロッシーニなど、「ベルカントオペラ」と呼ばれる作品群を残した作曲家の作品にも、以前よりも積極的に取り組むようになりました。その経験を生かして、ドニゼッティの〈イギリス女王三部作〉を、カヴァーも含めて三作全ての学びを深められたのは、人生の中でも大きな宝物になりました。


 そんなわけで、いまの私の音楽の素地は、ボーイト先生が培ってくれたものだと言っても過言ではありません。常に、心の中で問い掛けながら、歩んできました。



苦しくなって、逃げたけれど


 でも、そういう道程は、あまり楽なものではありませんでした。特に、思考の目標に対して、実力が追いついていなかった実践過程では、周囲の理解や評価を得られず、鬱々と苦しむことも少なくありませんでした。心身のバランスを崩す時期もありました。


 けれど、四十代に差し掛かる頃になって、ようやく思考と楽器のバランスが取れてきました。でも、痛めつけられた経験の記憶は強く、なかなか研究に向き合う気持ちになることが出来ませんでした。


 そうやって、研究を深めた過去からは、しばらく逃げてきたけれど……。いま、以前よりも整理された環境の中で、落ち着いて音楽に向き合ったり、寄り添ったりしているうちに、もう一度立ち返る勇気が湧いてきたのかもしれません。



ひらめきは、きっと天啓


 そんな日々を過ごしている中、昨日。あれこれと考えているうちに、エアポケットみたいな心地いい時間がありました。


 その時に、「ボーイト先生を起点に、イタリアにおけるワーグナーの影響についても触れつつ、ザンドナーイまでのイタリアオペラの流れを記したわかりやすい本を、実践者としての視点で書きたい」というひらめきが、ぽこんと訪れました。


 なんの前触れもなく、ぽこんと訪れたひらめきでした。Twitterにそのひらめきのまま、記して投稿してみました。その言葉を読み返せば読み返すたびに、「あ、これが自分のやることなんだ」という静かな実感が深まっていきました。


 過去の自分を振り切ろうとして、必死で逃げ続けて、壁の向こうに出た!と思っていたけれど、お釈迦様の掌の上だった孫悟空のような気持ちです。自分の居場所というものは、意図して作り上げるものではなく、気がついたら自然と居る、その場所なんですね。



ボーイト先生との新たな時間


 これから、ボーイト先生との新たな時間が始まるような気がしています。これまでは一方的に助けを求めて、のび太とドラえもんみたいな感じだったと思うのですが、そんな過程を経て、少しは私も成長出来たように思います。ひとりの歌手として、自分自身をようやく認められるようになった気がします。


 これからは、一緒に珈琲の時間を愉しむような感覚で、ボーイト先生との芸術の対話を深めていけたらいいなと願います。そして、私の経験や思考をへて抽出されたエッセンスを、なにかしらこの世界に還元していけたらいいなと願います。


 なので、これからは折に触れて、ボーイト先生関連の記事も更新していこうと思います。よろしくお願いします。